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2018年2月5日

患者様の手術体験エッセイ  『決断』 ~完全版~

みなさまにご好評をいただいておりました「決断(ケツだん)」が、1話から11話までのさらなる加筆の完全版として掲載させていたたけることになりました。

各方面からかなりの反響があり、「プロを雇って書かせているのではないか?」などの声も聞かれましたが、このエッセイは自分の体験を友人に知らせるべく書いた正真正銘、当クリニックで手術・内視鏡検査をさせていただいた、芥川賞ならぬ千曲川賞受賞作家 ペンネーム「石坂 洋ジロー(痔瘻?)」さんからいただいたエッセイです。みなさま、お楽しみください。

(著作権は石坂さんとの話し合いの上、著作権を委譲していただきました。本文の引用・転載の際は許可が必要となりますのでよろしくお願いいたします。)

(ケツ) 断

                                                 石坂 洋ジロー

第1話  診察のケツ断

平成27年6月だった。次第に痛みが強くなり眠れない程になった。恥ずかしい部位、しかも自分で見ることが出来ないので我慢していた。ここを見るには中国曲技団の少女のように体が柔らかくないと無理だ。肛門の近くだもの。

4,5日経った朝、なぜか痛みが引いたが、白いパンツに数センチの赤いシミがあった。

「うん? これは血だ。どうしたんだろう。まさか生理が来たのか。だとすると初めてだからこれは初潮か? 俺はいつニューハーフになったんだ。妻に言ったら赤飯を炊いてくれるだろうか」

そんな妄想が数秒の内に駆け巡った。頭の回転はまだいいが内容が阿保だ。患部に触ってみると痛かった箇所が破裂し、そこからの出血だった。取敢えず手探りでガーゼを当てた。恥ずかしいが専門家に診てもらうしかない。思い切って医者に行くことを決断した。ネットで調べ、「日帰り手術」、「個室」、が目にとまり、日比優一クリニックに予約を入れた。

第2話 尻を出すケツ断

クリニックは上田市の西、長野県営球場の近くにあった。去年の10月にできたばかりで清潔感があった。スタッフの対応も良い。予約制だから待合室が込み合っていることもない。新しい医療技術を身につけた若い先生がいるようだ。手術を待つ人が150人もいるらしい。

名前を呼ばれ、恐るおそる診察室に入った。

「どうしました? そうですか。では、そこのベッドに横になって、お尻を出して、膝を抱えてください」と言ってカーテンを閉めた。

ついに人前にケツをさらす決断の時が来た。いやケツ断の時だ。先生は、横になって尻を出せと言ったが、尻を出して横になった方が動作がしやすい。尻を出して横になって下さいと言うべきではないか。そう考えてズボンを下ろして尻を出してからベッドに上がろうとしたら、ズボンが邪魔をしてベッドに上がれなかった。カーテンの向こうでは看護婦が、「もういいですか」と急かせる。仕方ないのでズボンを下ろしながらベッドに上がり、横になりながら尻を出した。

第3話 手術のケツ断

ケツをさらしていると、怖さと恥ずかしさで日頃から元気のないムスコがさらに縮み上がっている。何をされるのかと固まっていると後ろから先生のゴム手の指か、器具か、冷たいものがギュッと入った。

「ウッ、痛え!」 

子供のころ、悪友の真似をして蛙の尻に麦わらを挿して膨らまして遊んだことがある。さぞ痛かったろう、悪いことをした。

「これは手術をしなければ治りません。1ヶ月後、症状が落ち着いたら手術しましょう。日帰りでできます」

「原因は何でしょう?」

「わかりません。誰でもなり得ることです」

「では、運が悪かったということですね。ウンがつくところなのに・・」

先生と看護婦が、ニヤッと笑った。

痔には3種類あり、その中の痔ろうであった。ストレスによる免疫力の低下ではないかと心の中で自己診断した。こうなっては医師の診断に従って手術をするしかない。手術をケツ断した。

これで大きなケツ断を3回もしたことになる。妻は私を優柔不断だと言うが、実はケツ断力がある男だということがこれで分かるだろう。

予定日は1ヶ月後に決まり、それまでは週1回、診察を受けることになった。

日帰り手術といっても勤務を休まなければならない。上司に病名は隠して連絡すると、すぐにF副理事長が心配して事務所に来てくださった。その後、S理事長からの電話を取ると、いきなり、「オイ、どうした。痔か?」と聞かれた。さすが鋭い洞察力だ。隠したかったが思わず、「ハイ、そうです」と答えてしまった。私が見かけ通り素直なことがわかる。妻にはいつも、「ハイ、そうです」ともっと丁寧に答えている。

「俺も前にやったんだ。いい医者を見つけたか。今度やるときはいい医者を紹介するからな」と心配してくださったが、2度もやりたくない。

手術予定日の翌日には松本でD連合会の会議がある。生憎、S理事長が不都合のため、N副理事長と私が代理出席をすることになっていた。それが気がかりだった。この会は、本来重要な会であったが、これまでの運営に問題があり、ある会員からこんな連合会からは脱退すると内密な連絡があった。しかし、今はそんなことを起こしてはならない時期でもあった。今度はぜひ代表を変えるべきだ。そういう大事な日なのだ。

第4話 待合室   

週1回の診察に行くまで毎日、排便の度に患部のガーゼを取り換えなければならない。これが人には見せられない姿勢で、絆創膏が余計な所に張り付く厄介な作業だ。妻に頼んでも逃げ出すだろう。この時は生理用ナプキンがあればいいと思った。しかしながら我が家ではすでに枯渇状態であった。職場の女性が貸してくれると言ってくれたが、よその人妻のナプキンを借りるなんてさすがに厚顔無恥な私でも遠慮した。

待合室には色々な人がいる。人目につかないように隅で座って待っていると、隣にいた私よりもっとおじいさんが話かけて来た。

「雨が降らなくて困るナイ。野菜が全然、育たねえだよ。歳を取ると医者通いばかりだわい」と4センチ程の厚みの診察券の束を見せてくれた。私の十倍はある。今は田畑の事情より臀部の痔情の方が優先だと思う。

今日の待合室にはゴーグルのような大きなサングラスを付けた若い長い髪の女性がいた。たぶん恥ずかしくて人目を避けるためだ。あのゴーグルの方が却って人目を引く。だが気持ちはわかる。私でも最初は、サングラスをかけて入ろうかと思っていたくらいだ。

なぜ肛門科に行くのが恥ずかしいのだろう。自分で見ることもできない、一年中日光に当たることもない部位を先生と看護婦にさらす情景を想像すると、顔から火の出る程恥ずかしいのはやむを得ない。そこでこのイメージを払しょくすれば、行きやすくなる。そのためにクリニックへ行くことがかっこよく思えるようにする仕掛けがあればいい。

明るく清潔なクリニック、尻を出して横になるベッドは緑色ではなくピンク色にすれば尻を出す雰囲気になる。そして、「まあ、立派なお尻!」とか「これで旦那さんを尻に敷いているんですね」とか言って、笑顔のスタッフの対応があれば尻を出すのが誇らしくなってくる。サングラスで顔を隠すのも無用と思えるだろう。

そう言えば、こんなに患者がいるのに健康診断でも人間ドッグでも肛門検診を受けたことがない。厚生省はこれを成人病検査に義務付けてはどうか。そうすれば検査に慣れる。肛門の日、肛門相談日があっても良い。肛門に光を当てるのだ。幸門科と名前を変えたら幸せになれそうで行きたくなる。そういう工夫をすれば全国民が恥ずかしがらないで行けるようになる。水戸黄門様も喜びそうだ。

また「ジ」という発音が良くない。「痔」という文字も印象が良くない。疒に寺と書くのは何故だろう。むしろ、知性と羞恥心を捨てて阿保になって文字通り尻丸出しで治療をしてもらうのだから、疒に阿呆の呆を入れ「ポ」と読ませる。そうすれば文字の見た目も発音も可愛くなる。

これからは日比優一クリニックでは「ポ」と言う事にすればいい。これからは「イボポ」、「キレポ」、私は「ポロー」だ。痔は隠したくなるが「ポ」なら、「私、キレポになったのよ」「あーら、私なんかイボポよ」「俺なんかポローだぜ」と自慢したくなるだろう。以上はすべて冗談である。

おじさん、おばさんは、自分は痔ではないよというような平気な顔をして待合室でテレビを見ている。私も今では、負けずに平気なふりができるようになった。修行ができた。

第5話 検査          

手術直前のいつもの検診の後、日帰り手術なのでたいしたことはないのだと思ったが、念のため医師に松本の会議に出席しても良いかと聞いた。

「出血すると危ないから長距離運転はだめです。これから手術のための検査をしますので隣の検査室へ行ってください」

困ったことになった。こまった。こまった。コマドリ姉妹だ。会議はどうする。  

検査室では若くて美人の看護婦が、ケツからでなく腕からケツ液を採取した後、

「では、そこのベッドに横になってください」

というので、いつものように尻を半分出したら、

「心電図を測りますから、お尻は出さなくていいですよ」

あんなに恥ずかしかったのに、ここへ来る度に尻を出して診察してもらっているうちに、すぐ尻を出す癖がついてしまった。最近は流れるような動作で尻を出して横になれるようになったのだ。見せたいくらいだが、誰も見たくないだろう。心電図を測り終えると、

「腰の脊髄に麻酔注射をするので、レントゲンを撮ります。バンドを外してください。他には金属類はないですか?」

「ささやかな貴金属類がぶら下がってますが...」と言ったら、

「それは写りませんから大丈夫ですよ」と看護婦はすまして答えた。

折角、謙遜したのに、そんな小さいものは写らないと言われた様な気がして、少し悔しかった。

「どんなに立派でも今までに写った人はいませんから、大丈夫ですよ」

とニッコリほほ笑んでくれたら、どんなにか安堵した事だろう。

患者は不安な気持ちで診察されているから、余計なことを言って不安を紛らわせているのだ。だから治療以外の場面でも安心感が持てればありがたい。

第6話 友人情報

松本本部からは会議の出欠の問い合わせがある。行けば出血する。私はベッドで横になり出ケツだ。やむなくN副理事長お一人にお願いすることになった。代表選については、理事長と戦略を準備した。N副理事長は、

「百周年記念の横断幕を校門に張ればいいと思うが、アンタの肛門を思い出してイメージが壊れる。私はもっと昔にやった。アンタは遅い。私は10日も入院した。看護婦に毛も剃ってもらったぞ」

と先輩らしく威張った。ということは三役四人の内、やってないのはF副理事長だけだ。期待できる。

N副理事長の場合、看護婦の剃り方が下手だったので、見かねてたまたま同室にいた馴染みの床屋が、俺がやってやると代わってくれた。そのため今でも床屋に行くたびに、今日はどっちを剃るのかなとからかわれているらしい。

友人のYは、手術の時に看護婦四人に抑えつけられて嬉しかかったが、メスが入れられた時は、あまりの痛さに「ギャオーッ」と叫び、失神した。掴んだ木の手すりには爪あとが残っていたと以前、話していた。

同級生のTは、俺は両足をバンドで柱に縛られ、看護婦に、いいお尻ねと言われたことまでは覚えていると、尻の自慢をして来た。それだけでなく、小便も出なくなったことがあり、看護婦が筒先からゴム管を差し入れやさしく揉んでくれたが、気持ち良くならなかったと余計な情報まで入れて来た。小心の私は想像しただけで顔が赤くなったり、青くなったりだ。 

手術日が迫って来た。毛を剃られるのだろうか。先生は若いからガムテープを貼り付けてビリッとむしり取るのではないだろうか。痛えぞ。

足も縛り上げられるのだろうか。看護婦はショボイ尻ね、と言うに違いない。聞こえないふりをしていよう。

看護婦に抑え込まれ、メスが入る痛みで失神するのだろうか。どうせ失神するなら、4人でなく1人で良いから柔らかな身体で抑えつけてもらい、その体重と吐息でメスが入る前に失神してしまいたい。

不安で妄想が駆け巡る。明後日が手術だ。

第7話 手術

手術前日、恐さと恥ずかしさを想像しておののいている時、名古屋のN副理事長からわざわざ電話があった。

「大事にしてくれよ。連合会は任せろ。見舞いはケツ礼する」

得意の駄洒落を言いたかったのだ。

当日は腸を空にするため、朝8時半から下剤を飲み、水を2.5リットルちびちびと頑張って飲む。原因が大腸にあることもあるので、その検査も一緒に行われ、異常があれば大腸を優先処置することになると、説明があった。10回ぐらい排便すると看護婦が便の色を確かめに来る。腸が空になったと確認できると手術着に着替え、手術用パンツを穿いて待機する。男性用パンツは前が開くが、このパンツは後ろが開くようになっているので穿く向きに注意を要する。

昼12時ごろから大腸の検査が始まった。ベッドにうつ伏せになると麻酔が打たれた。続けて空になった腸に空気を入れて膨らませる。まさか先生が麦わら棒を挿して膨らますはずはない。看護婦が何か機械を操作した。お腹が張ってきた。カエルの気持ちが少し分かった。この空気が手術中にブッと先生の顔に放出されたらどうしようと不安になって尻をすぼめたが力が入らなかった。腸が膨らむと内視鏡検査が始まり、30分くらいで終った。腸内の空気も抜かれた。異常がなかったので続けて同じベッドで手術になった。手術は20分かからないくらいだった。痛いのは、点滴と麻酔の注射が「チクン」とした時だけだった。

手術は、穴の開いたパンツをはいて(少し変)、うつ伏せになり(あれ?)、足を縛られる事もなく(よかった)、毛を剃られる事もなく(よかった)、看護婦に抑え込まれる事もなく(少し残念)、痛みもなく(よかった)、何をされているのかもわからず20分ほどで終わった(よかった、よかった)。

手術後は下半身が麻酔でしゃきっと動かないので、2時間ほど安静にした後、着替えをする。その時、ふと気がついた。いつの間にか手術用のパンツではなく自分のパンツを穿いていたのだ。きっと、手術直後に看護婦が部屋の脱衣籠から私のパンツを持って来て、穿き替えさせてくれたに違いない。しまった。パンツを丁寧に品よく四つに畳んでおけばよかった。しまった。しまった。島倉千代子だ。もう、遅い。

その後、医師の説明を受け3時ごろ退院となった。手術の傷が治りきるまでは通院しなくてはならないが、本当に日帰り手術だった。

友人の「ポ」の先輩たちは、善良なる悪意と励ましで、恐がらせたり恥ずかしがらせたりした。だが、恐る恐る行ってみると拍子抜けするほど、手際よく終わった。現在の医療技術は進歩していて患者の負担がとても少ないことが分かった。ケツ断は正しかった。先生ともシリ合いになれた。妻にも見せない秘所を自由に触らせた先生は妻以上のシリ合いだ。ケツ縁関係と言ってもいいくらいだ。

クリニックには手術待ちの人が沢山いるし、話せば俺もやったという人が意外に多かった。私のように我慢している人もいると思うが、心配せず肛門を大事にする気持ちで早く診てもらった方がいい。何故大事かはこれから少し恥ずかしさを忍んで触れたい。

第8話 妻の迎え          

手術後の説明を聞き、ほっとしながら病室を出ると待合室にいた妻が笑顔で立ち上がった。45年前の天使のような笑顔を思い出した。迎えに来てくれていたのだ。日帰りといっても麻酔のため運転に不安があるためだ。医師の指示である。妻はいつも優しく、私が疲れてぃるとリポビタンを出してくれたりする。(妻が疲れたときは、リポビタンゴールドを飲んでいる)。いつもは口がもつれているが、今は足がもつれる。妻がやさしく、力強く手を取って車まで連れて行ってくれた。昔は俺について来いと言っていたのに、今はよたよたと妻について行く。45年前は、白魚のような指をしている手だった。久しぶりに妻の手を握ったら、動悸がした。不整脈かもしれない。

次の診察の時、医師にこのことを報告し、心電図の結果を聞いたが、老人の不安には笑って答えてくれなかった。先生は、まだ若い。私ならこう答えて安心させるだろう。

「心電図では異常は見られませんでしたから大丈夫ですよ。もしかすると百人に一人くらい現れる幸せ動悸か、千人に一人くらいの恐怖動悸かもしれません。心理的なものです。なあーに、あと10年もすれば何も感じなくなりますから心配しなくていいですよ」

「そうですか。なるほど。ほう、ホケキョ」と、見事な説明に納得し尊敬するはずだ。

第9話 ガタリップ    

連合会代表選は、戦略通りにN副理事長が見事に仕切って、信頼できるK会員に決まった。安心した。K会員から、よろしくと電話があった。

術後、1週間ぐらいして気づいた。オナラが人前でもかまわず勝手に漏れてしまうのだ。(へーぇ)。 しかもテノールの美しい高音は出ず、すべてバスの低音になってしまうのだ。昭和の頃、フランク永井という歌手がいた。甘い低音の歌声は女性を痺れさせた。だが、今漏れる音色は、フランク永井がジジイになった時のような低音である。

何十年も前、姉が女子高生だった頃、家に帰って出来事を話してくれたことがあった。教室で友達がオナラをごまかそうとして、椅子をガタリと鳴らした。だがタイミングが合わず、椅子が「ガタリ」と鳴ってから、オナラが「プッ」と出た。姉は、涙を流し笑い転げながら話してくれた。それ以後、姉はその友達を、「ガタリップ」と呼んでいた。

今の私は、「ガタリップ」ではない。考える間もなく「プッ」が先に出て、後から「ガタリ」状態だ。職場の女性にそのことを詫びると、「どうぞ、遠慮なくどんどんしてください」と優しい言葉だったが、笑いをこらえているに違いない。陰できっと、「プッガタリ」と呼ぶだろう。

私の低い品格がさらに傷ついてしまう重大な問題だ。日比先生に相談すると、

「肉を削ってあるので、肉が盛ってくれば直りますよ」

と、へー然とお答えになった。また看護婦がいつの間にかパンツを穿き替えさせてくれた手際の良さに感心したことを伝え、私のパンツを脱衣籠からピンセットでつまんで持って来たのかと質問したところ、

「まさか、そんなことはしませ・・、ク、ク、・・」

と顔を両手で押さえて下を向いた。顔を上げると赤いお顔だった。人間的に温かい医師であることがわかる。冷徹な医科学者ならば、「いいえ、ワリバシでつまんで来ました」とか言う筈だ。商売上手な医者なら、患者の気持ちに寄り添って、「胸にしっかりと抱いて持ってきましたよ」とか言う筈だ。

第10話 感謝 

手術が終わり、1ヶ月余、2日ごとの検診が1週間おきになり、2週間おきになってきた。抜糸は、これまでに順を追って2回あった。

「その後、調子はいかがですか」

「ハイ、良くなっておりますが、まだオナラが漏れます。高音のテノールのオナラが出なくなっていることに気がつきました。痺れるようなバスの低音ばかりです。せめてバリトン位の音色が良いです。この間は、七夕の短冊にガス漏れが治りますようにと書きました」

先生は、両手をたたいて、

「ハ、ハ、ハ・・・。これからはおかしくてオペラが見られませんよ」

看護婦もクスクス笑っている。症状を正直に訴えると笑われる。「屁が少し・・・」とあいまいな言い方で深刻な表情で言うべきだった。ずっと前に優しい妻に、「まあ、だらしない音。どうせするならもっと元気よくしなさい」とたしなめられた。それがトラウマになっていることまでは、先生に言えなかった。

「大分良くなりましたね。今日はもう一つの抜糸をします。これで少しづつ、高音のオナラが出るようになりますよ」

オナラの音色まで心配してくれる医師は全国的にも少ないだろう。

それだけではない。食べ物は口から入って、食道、胃、小腸、大腸を通って消化、吸収されて最後は肛門から排泄される。入口の唇なんかはただパクパクしているだけだが、出口の肛門は時が来るまで文句も言わずしっかりと閉じている。肛門が唇のように気楽にパクパクしたら悲惨なことになる(おしめの会社は儲かる)。唇は口紅を塗って見せびらかせたり人に押しつけたりする女性もいるが、肛門はそんな破廉恥な事はできない。しかもしっかりと閉じながら、必要に応じてかぐわしい香り、耐えなる音色のオナラだけを放出できる。謙虚で控えめでありながら忍耐強い態度は高潔(高ケツ)でさえある。英語でも高潔の事をオナラブル(Honorable)というくらいだ。このように肛門はデリケートで大事だったのである。そういうことに気付くと肛門と手当をしてくれる医師に感謝の気持ちがわいて来た。 

昭和史研究家の保坂正康氏が「文芸春秋」に書いていた。近衛文麿の秘書だった細川護貞氏に、昭和16年に近衛が内閣を投げ出した前後のいきさつを戦後になってから聞いたそうだ。「あの時、近衛は痔だったんだよ。東條英機陸相と激論を交わしながら、こう(腰を浮かせる動作をしながら)やっていた」 

その結果、強硬派の東條を抑え込めないまま近衛が逃げ出した。そして東條内閣が誕生し、ついには太平洋戦争に突入して行った。指導者の健康が国運を左右することは想像できるが、痔のせいだったとは......。これぐらい大事なのである。

第11話 完治

もう、すっかり良くなった。2ヶ月に1度の通院で良くなった。術後の回復を助ける漢方薬が自分に合っているらしい。ハードな仕事も乗り切れている。大きな声で言えないが、快便になったのが実は嬉しい。

恐がらせた友人に見せようと体験記を書いたら、先生が見たいとおっしゃるのでお見せした。看護婦まで大笑いだったとのことだった。深刻な人の病気を皆で笑うなんて、とてもいけないことだ。それよりも漏れるオナラを必死で誤魔化している患者の様子を想像して欲しい。そして1日も早い回復をキャンドルの前でマリア様に祈って欲しかった。ケツ断は正しかったと褒めて欲しかった。

医師と看護婦達は、毎日、違った症状の患者達に最適な治療をするため真剣な筈だ。間違いが許されない緊張があると思う。だから、このような手術体験エッセイを読んで、ほっと緩んだのかもしれない。仕事に誇りと自信を持てたのかもしれない。我ながら良いことをした。ケツ裂がケツ作になった。

最初は私を脅し、励ました「ポ」の先輩たちに新しい時代の医療の実態とケツ断の正しかったことを知らせたくてありのままを書いているうちに、大出ケツサービスになってしまった。

以上で、明るく、為になる手術体験記は終ケツにする。ラン、ラン、♪♪

と思ったら、N副理事長から、岐阜県に下尻毛町という町がある。お前のエッセイに関係するから調べろと来た。調べると「しもしっけ」と読むことが分かった。この町で治療を受けたら最適と思わせる重要な情報だ。この情報量はさすが元大企業の経営者だ。この地名は、昔は湿地帯で湿気から尻毛になったという説もあるらしい。また大分県には下毛郡という所があり、そこの娘さん達は住所を書くのを恥ずかしがると聞いた事もある。

古代には今の栃木県と群馬県を合わせた辺りは毛の国と呼ばれていたそうだ。毛は禾から来ており、禾は稲を意味し、稲が沢山採れる豊かな国を毛の国と言ったらしい。その後、毛の国は分かれて、上毛国(かみつけのくに)と下毛国(しもつけのくに)となった。京都に近い方が上毛国になった。さらにその後、上毛国は上野国(こうずけのくに)、下毛国は下野国(しもつけのくに)になった。これが現在の群馬県と栃木県に至っているのだそうだ。この両県にまたがる電車が両毛線という訳だ。N副理事長のお陰で予定外の教養を深めてしまった。

いくつかエッセイを書いたが、尻だ、ケツだというエッセイは初めてだ。これで最後にする。

余談 

昭和の中ごろ、石坂洋次郎という青春文学の作家がいた。「青い山脈」とか「陽のあたる坂道」が映画になった。あのような青春が懐かしい。青春はすべて初体験の感動である。この作品は、老年の初体験の感動を描いたので、老年の青春文学ともいえる矛盾と波乱に満ちたエッセイだ。

ペンネームは洋痔郎にしろとN副理事長は言うだろう。それでは直截過ぎるから可愛らしく洋ジローにした。石原裕ジローでもいいが、裕次郎ファンの妻に叱られる。また不整脈が起きる可能性がある。

2017.3

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